大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和60年(行ウ)68号 判決 1988年5月27日

原告

水野マリ子

(旧姓  中野マリ子)

右訴訟代理人弁護士

柴田信夫

菅充行

谷池洋

仲田隆明

被告

外務大臣

宇野宗佑

被告

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右両名指定代理人

金子泰輔

外六名

主文

一  被告外務大臣が、原告に対し、昭和六〇年三月六日付でした一般旅券発給拒否処分を取消す。

二  原告の被告国に対する請求を棄却する。

三  訴訟費用は、原告、被告外務大臣間に生じた分は被告外務大臣の負担とし、原告、被告国間に生じた分は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項同旨

2  被告国は、原告に対し、金一二〇万円及び内金一〇〇万円に対する昭和六〇年一〇月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第2項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  金員請求につき原告勝訴の場合には担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(一)  本件処分の存在

原告は、昭和五二年一月八日、大阪府知事を経由して被告外務大臣に対し、サウジアラビアを渡航先として、一般旅券発給申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、被告外務大臣は、昭和六〇年三月六日付で、右申請について一般旅券の発給をしないとの処分(以下「本件処分」という。)をし、原告に対し、「貴殿は、従前からいわゆる日本赤軍と称せられる過激派集団と連繋関係があると認められ、同集団のこれまでの活動に鑑み、貴殿は、旅券法一三条一項五号にいう著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者に該当する。」との理由を付して通知したので、原告は、同年五月一日、被告外務大臣に対し、異議申立をしたところ、被告外務大臣は、同年六月一七日、原告に対し、異議申立棄却の決定をし、同月二一日原告にこれを通知した。

(二)  本件処分に至る経緯

(1) 被告外務大臣は、昭和五二年二月一六日付で、原告の本件申請に対し、旅券法一三条一項五号に該当するとの理由を付して一般旅券を発給しないとの処分(以下「前処分」という。)をしたので、原告は、同年四月二〇日、被告外務大臣に対し、異議申立をしたところ、被告外務大臣は、同年九月八日、異議申立棄却の決定をした。なお、被告外務大臣は、右異議申立手続において、原告は「いわゆる日本赤軍と称される過激派集団と連繋関係を有するものと認められ、これら過激派集団の既往の破壊活動等にかんがみ、貴殿の海外渡航はわが国の利益及び公安を著しくかつ直接に害する虞があると認められる。」との理由を示した。

(2) そこで、原告は、大阪地方裁判所に対し、被告外務大臣の前処分の取消を求めて訴えを提起した。同裁判所は、昭和五五年九月九日、原告は日本赤軍と連繋関係を有するとは認められないとして、前処分を取消す旨の判決をしたが、その控訴審の大阪高等裁判所は、昭和五七年二月二五日、右判決を取消して原告の請求を棄却する旨の判決をしたので、原告は、右控訴審判決に対し、上告したところ、最高裁判所は、昭和六〇年一月二二日、前処分には旅券法一四条に定める理由付記の不備があるとの理由で原判決を破棄し、被告外務大臣の控訴を棄却する旨の判決をした。

(3) そこで、被告外務大臣が、昭和六〇年三月六日付で原告の本件申請に対し、再度したのが本件処分である。

2  本件処分の違憲性及び違法性

(一) 市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)違反

B規約は、一二条二項に「すべての者は、いずれの国からも自由に離れることができる。」、同条三項に「一項及び二項の権利は、いかなる制限も受けない。ただし、その制限が、法律で定められ、国の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の権利及び自由を保護するために必要であり、かつ、この規約において認められる他の権利と両立するものである場合は、この限りでない。」とそれぞれ規定しており、右同条三項の「法律による制限」は、同項の他の要件との関係からみて、制限の限界が確定しうる程度に明確かつ具体的なものでなければならないと解される。しかるに、旅券法一三条一項五号は、旅券発給の制限理由を極めて漠然かつ不明確にしか規定しておらず、B規約一二条三項の「法律による制限」の要件を満たしていないから、B規約一二条二項三項に違反するものであり、したがつて、旅券法一三条一項五号にあたるとしてなされた本件処分も、B規約の右条項に違反するものである。

(二) 理由付記の不備

旅券法一四条が理由付記を命じているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、憲法二二条一項または二項で国民に保障された基本的人権である外国旅行の自由を制限することになるため、拒否事由の有無についての外務大臣の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによつて、その不服申立に便宜を与える趣旨に出たものであるから、一般旅券発給拒否処分の通知書に付記すべき理由は、いかなる事実関係に基づき一般旅券の発給が拒否されたのかをその記載自体から了知しうるものでなければならない。しかるに、本件処分の通知書には、原告が日本赤軍と連繋関係を有するという理由が示されたにとどまるが、「連繋関係」との文言は具体的な事実関係を示すものとはいえず、いかなる事実関係をもつて連繋関係を有するというのかが明らかではないから、本件処分は、理由付記の不備の違法があり、旅券法一四条に違反する。

(三) 同一処分の蒸し返しの違法

行政処分の後続手続の中での理由付記の追完は、右行政処分の理由付記の不備の瑕疵を治ゆするものではないから、前処分時に付記しえた理由をもつて前処分と同一内容の新たな処分をすることは許されないと解される。ところで、前処分は、異議申立手続で被告外務大臣から示されたとおり、原告が日本赤軍と連繋関係があることをその処分理由としてなされたものであり、被告外務大臣は、右処分理由を前処分時に付記することができたのであるから、前処分が理由付記の不備の違法により取消された後は、右と同じ処分理由を付した一般旅券発給拒否処分はなしえないこととなる。それにもかかわらず、前処分と同じ理由を付記してなされた本件処分は、同一処分の蒸し返しとして、旅券法一四条及び行訴法三三条二項に違反する。

(四) 日本赤軍との連繋関係の不存在

海外渡航の自由が精神的自由の側面を有する以上、それを抑止する旅券発給拒否処分には、旅券法一三条一項五号の規定に定める害悪発生の相当の蓋然性が客観的に存在する必要があり、そのような蓋然性の存在しないときは、旅券発給拒否処分は、その適用において憲法二二条一項または同条二項に違反するとともに、旅券法一三条一項五号に違反する。ところで、原告は、大分県で生まれ、昭和三八年に高校卒業後、集団就職により来阪し、さまざまな職種を経て交友関係を拡げる中で、各種の社会活動に参加し、善良な市民生活を送つてきたのであり、これまで前科前歴等もない。原告は、昭和四五年五月から三か月間、キューバへ、「砂糖きび刈り奉仕団」の一員として渡航滞在し、その間その働きぶりと人柄によつて労働英雄の賞を受けるほどの活躍をし、その後、昭和四六年四月にはレバノンへ渡航し、昭和五〇年一二月までの間国際連合で準国家機関として認知されたパレスチナ解放機構(以下「PLO」という。)の正式機関である月赤十字病院において看護婦として、パレスチナ難民救済のためのボランティア活動を行ない、日本とアラブ人民との友好に多大な貢献をなした。このように、原告は、日本と諸外国との友好に貢献し、わが国の外交上の利益に多大な貢献をしてきたものであり、また、原告が日本赤軍と連繋関係を有するとの事実は存在しないから原告に一般旅券を発給しても、日本国の利益または公安を害する行為を行う相当の蓋然性が客観的に存するとは認められず、本件処分は、憲法二二条一項または同条二項に違反し、かつ旅券法一三条一項五号に違反する違憲、違法な処分である。

3  被告国の責任

(一) 被告外務大臣は、本件処分が違憲または違法なものであることを認識し、または、認識すべきであつたにもかかわらず、故意または過失により、違憲、違法な本件処分をした。したがつて、被告国は、国賠法一条一項により、原告に対し、原告が本件処分により被つた後記損害を賠償すべき義務がある。

(二) 損害 一二〇万円

(1) 慰謝料 一〇〇万円

原告は、いわれもなく日本赤軍と連繋関係があるとの理由で本件処分を受け、海外での献身的活動により日本と諸外国との友好に多大な貢献をなしたという誇りを著しく傷つけられたばかりか、七年にも及ぶ長期の裁判を経てようやく前処分の取消判決を得たにもかかわらず、本件処分を受け、海外渡航の自由を奪われ、甚大な精神的苦痛を受けたのであり、右精神的苦痛を慰藉するには一〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 二〇万円

4  よつて、原告は、被告外務大臣に対し、本件処分の取消を、被告国に対し、国賠法一条一項に基づく損害賠償請求として、金一二〇万円及び内金一〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六〇年一〇月八日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の(一)ないし(三)の主張は争う。同2の(四)の事実のうち、原告に前科前歴がないこと、原告が昭和四六年四月から昭和五〇年一二月まで日本を出国し、中東地域に渡航滞在していたこと、原告がレバノンで看護活動をしていたこともあることは認め、その余の事実及び主張は争う。

3  同3の事実及び主張は争う。

三  被告らの主張

被告外務大臣が、原告に対し、昭和六〇年三月六日付でした本件処分は、次のとおり、なんら違法がないから、その取消請求は失当であり、また、その違法を前提とする国家賠償請求も失当である。

1  理由付記の適法性

旅券法が一般旅券発給拒否通知書に拒否の理由を付記すべきものとしているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、憲法二二条一項で国民に保障された基本的人権である外国旅行の自由を制限することになるため、拒否理由の有無についての外務大臣の判断の慎重と公正妥当を担保してその恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによつて、その不服申立に便宜を与える趣旨に出たものというべきであるから、旅券法一三条一項五号に該当するとして旅券の発給を拒否する場合の理由付記の程度としては、同号適用の基礎となる事実関係を、他の事実関係と区別し、その記載自体によつてこれを了知しうる程度に特定して記載すれば足り、それ以上に認定の根拠となる証拠の摘示はもちろん、同号適用の基礎となる事実関係に至る推論の過程の説示まで必要とするものではないと解すべきである。本件処分の通知書には、拒否理由として、「貴殿は、従前からいわゆる日本赤軍と称せられる過激派集団と連繋関係があると認められ、同集団のこれまでの活動に鑑み、貴殿は、旅券法一三条一項五号にいう著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者に該当する。」と記載されており、日本赤軍がこれまで海外において度重なる破壊的暴力活動を行つている極左暴力集団であり、その活動が著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害するものであることは公知の事実であるから、原告が右暴力集団と連繋関係を有するとの記載は、同号適用の基礎となる事実関係を他の事実関係と区別できる程度に特定して記載してあることは明白であり、本件処分に、理由付記の不備の違法はない。

2  同一処分の蒸し返しの違法の主張について

原告は、理由付記の追完が許されないことから、最初の処分時に付記しえた理由をもつて新たな処分をすることは許されない旨主張する。しかし、前処分が最高裁判所判決により取消されるべきものとされた理由は、単に、「旅券法一三条一項五号に該当する。」と付記したのみでは同法一四条に定める理由付記の要件を欠く、というものであつたから、被告外務大臣は、新たに、本件申請に対する旅券発給拒否処分をするに当り、右判決の趣旨にしたがい、同条に定める理由付記の要件を充足するよう処分理由を付記しなければならないとの拘束を受けるが、その余の点で右判決に拘束されることはなく、また、右付記理由が、最初の処分の時に付記しえた理由であつてはならないとする法理はないから、原告の右主張は失当である。

3  旅券法一三条一項五号該当による本件処分の適法性

次に述べる日本赤軍の組織実態及び活動、原告と日本赤軍との連繋関係の存在、原告に旅券を発給した場合の国際関係に及ぼす影響、原告の地位、言動及び渡航先等の諸事情によれば、原告が旅券法一三条一項五号所定の「外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当することは明らかであり、本件処分は、その適用においても合憲であり、かつ、適法である。

(一) 日本赤軍の組織実態

日本赤軍は、日本の極左団体の一つである共産主義者同盟赤軍派(以下「共産同赤軍派」という。)の流れをくみ、昭和四六年二月、アラブに渡つた同派中央委員重信房子(以下「重信」という。)らが同派と分れて新たに組織したグループであり、当初、アラブ赤軍とも名乗つていた。日本赤軍は、国際・国内遊撃戦を中心に、あらゆる人民の指導勢力の結集を図り、世界革命へ向けての根拠地たるべき日本人民共和国を建設しようとの闘争理論を掲げ、重信をキャップとする約二〇人の日本人グループで構成され、その組織としては、最高指導機関として政治委員会があり、その下に調査、兵站等を担当する組織委員会及び軍事の実行を担当する軍事委員会が置かれており、これまで日本赤軍が敢行したテロ・ゲリラ事件の実行担当者(以下「コマンド」という。)は、この軍事委員会に所属している。なお、日本赤軍は、アラブ諸国を拠点として活動し、日本国内には、海外から送還された日本赤軍関係者を含め一〇〇名を下らない数の支援グループが存在するとみられている。

(二) 日本赤軍による破壊活動等

(1) テルアビブ・ロッド空港事件

日本赤軍コマンドである奥平剛士、安田安之(以下「安田」という。)、岡本公三(以下「岡本」という。)は、昭和四七年五月三〇日、イスラエルのテルアビブ・ロッド国際空港の待合室において、群衆約三〇〇人に向けて自動小銃を乱射し、手段げ弾を投げ、九八人を殺傷するという国際無差別殺人を敢行した。奥平剛士、安田は、その場で自爆し、岡本は、イスラエル当局に逮捕されて終身刑の判決を受け、服役していたが、昭和六〇年五月二〇日、釈放され、日本赤軍に合流したとみられている。

(2) 日航機ハイジャック事件

日本赤軍コマンドである丸岡修(以下「丸岡」という。)は、昭和四八年七月二〇日、アラブゲリラ四名とともに、オランダのアムステルダムからアンカレジ経由で東京へ向かう予定の日航ジャンボジェット機(乗員二二人、乗客一二三人)をアムステルダム上空で乗取り、ドバイ空港を経て、同月二五日、リビア・ベンガジ空港に着陸させ、乗員乗客を解放した後、同機を爆破し、その場でリビア軍隊に逮捕されたが、間もなく釈放され、日本赤軍に合流した。

(3) シンガポール・クウェート事件

日本赤軍コマンドである和光晴生(以下「和光」という。)、山田義昭(以下「山田」という。)は、昭和四九年一月三一日、アラブゲリラ二名とともに、シンガポールのシェル石油製油所を襲撃爆破し、フェリーボートを奪い、乗組員五人を人質として海上に逃れた。一方、その支援として、アラブゲリラ五名が、同年二月六日、在クェート日本大使館を占拠し、大使ら一六人の人質と交換に、右シェル石油製油所襲撃ゲリラ四名をクウェート空港まで日航特別機で移送させた。そして、シェル石油製油所襲撃ゲリラ及び大使館占拠事件のアラブゲリラ合計九名は、そこで合流のうえ、右空港を飛び立ち、同月八日、南イエメンのアデン空港に着陸し、南イエメン政府の管理下に入つた。

(4) 翻訳作戦

日本赤軍構成員の重信らは、昭和四九年二月ころから同年六月ころまでの間、西ドイツのデュッセルドルフ市内にある日本商社の支店長クラスを人質として身代金を奪取することを企て、行者芳政(以下「行者」という。)らが調査活動を継続していたが、同年七月二六日、山田がパリにおいてフランス当局に逮捕されたため、右計画を中止した。なお、山田らは、偽造旅券を使用して行動していた。

(5) パリ事件及びハーグ事件

山田は、昭和四九年七月二六日、フランスのオルリー空港内において、同国に入国するに際し、「古屋優」名義の偽造旅券を同空港の税関職員に提示したため逮捕された(パリ事件。)。一方、日本赤軍コマンドの和光、西川純(以下「西川」という。)、奥平純三は、昭和四九年九月一三日、けん銃、手投げ弾で武装して、オランダのハーグにあるフランス大使館を襲撃占拠し、大使ら一一人の人質と交換に、フランス当局に偽造旅券行使などで逮捕されていた山田を奪還するとともに、オランダ当局から三〇万ドルを強奪したうえ、同月一七日、フランス航空機で、スキポール・アムステルダム国際空港を離陸し、同月一八日、シリアのダマスカス空港に着陸し、その場でシリア政府の管理下に入つた(ハーグ事件)。和光らは、その後シリアを出て、日本赤軍と合流した。なお、山田は、昭和六一年二月二五日、日本国内において逮捕され、有罪判決を受けて服役していたが、昭和六二年九月二九日、刑期が満了した。

(6) ストックホルム事件

日本赤軍構成員の日高敏彦(以下「日高」という。)、西川、戸平和夫(以下「戸平」という。)は、昭和五〇年三月五日、スウェーデンのストックホルム市内にあるレバノン大使館の出入り状況について調査中、同人らの行動に不審を抱いた警察官に職務質問され、その際、西川及び戸平は、偽造旅券を警察官に呈示し、スウェーデン当局に逮捕された。

(7) クアラルンプール事件

日本赤軍コマンドの日高、奥平純三ら五名は、昭和五〇年八月四日、手投げ弾、けん銃で武装して、マレーシアの首都クアラルンプールにあるアメリカ大使館及びスウェーデン大使館を襲撃し、アメリカ領事ら五三人を人質にとつて、右両大使館を占拠し、右人質と交換に、日本で拘禁中の西川、戸平、佐々木規夫(以下「佐々木」という。)、坂東国男(以下「坂東」という。)、松田久を奪還したうえ、同月七日、クアラルンプール空港を日航特別機で離陸し、同月八日、リビアのトリポリ空港に着陸し、その場でリビア政府の管理下に入つたが、日高らは、まもなく、リビアから出国し、日本赤軍に合流した。

(8) ダッカ空港事件

日本赤軍コマンドである丸岡、西川、坂東、佐々木ら五名は、昭和五二年九月二八日、パリ発東京行南回り欧州線の日航機(乗員、乗客合計一五六人)がインドのボンベイ空港を離陸した直後、けん銃、手投げ弾で武装してこれを乗取り、バングラデシュのダッカ空港に着陸させ、人質と交換に日本に拘禁中の奥平純三、大道寺あや子、浴田由紀子、城崎勉(以下「城崎」という。)、仁平映、泉水博を奪還するとともに、現金六〇〇万ドルを奪つたうえ、同年一〇月三日、ダッカ空港を離陸し、ダマスカスを経て、アルジェリアのダル・エル・ベイダ空港に着陸し、同月四日、人質を解放し、その場でアルジェリア政府の管理下に入つた。

(9) ジャカルタ・日米大使館等襲撃事件

昭和六一年五月一四日、インドネシアのジャカルタ市内において、日本大使館及びアメリカ大使館に迫撃弾が撃ち込まれ、さらに、カナダ大使館が入居しているビルの前に止められていた同大使館の公用車に仕掛けられた爆発物が爆発するという事件が発生したが、右事件に、日本赤軍構成員である城崎が関与していたことが明らかになつた。

(三) 日本赤軍による破壊活動等の再発の危険性

日本赤軍は、次の事実からみて、本件処分時においてはもちろん、今後とも従前のような破壊活動等をくり返す危険性を十分有している。

(1) 日本赤軍の声明文等から看取しうる破壊活動等の再発の危険性

日本赤軍は、昭和五二年以降も、人民新聞、書籍、機関紙、パンフレット等に発表した声明文などで、武装闘争を継続する旨宣言するなど、今後さらに破壊活動を反覆継続するとの姿勢を鮮明にしている。

(2) 重信の言動から看取しうる破壊活動等の再発の危険性

日本赤軍の中心人物である重信は、昭和五六年以降に行われた「朝日ジャーナル」等の雑誌記者らとの会見において、日本赤軍がなお、コマンドを抱える確固たる組織として存在し、テロ破壊活動の機会をうかがつていることを明言している。

(3) その他日本赤軍構成員の言動等から看取しうる破壊活動等の再発の危険性

ダッカ空港事件の犯人丸岡ら五名及びその際奪還された奥平純三ら六名合計一一名は、日本赤軍本隊と合流したものとみられる。また、重信らをはじめとする日本赤軍構成員は、最近においてシリア国内に在留し、パレスチナ解放人民戦線(PFLP、以下「PFLP」という。)と密接な連繋関係を保ちつつ活動を行つている。

(四) 原告と日本赤軍との連繋関係

原告は、次の事実からみて、日本赤軍と連繋関係を有するものである。

(1) 原告の中東地域への渡航滞在について

原告は、昭和四六年四月、信原孝子(以下「信原」という。)とともに日本を出発し、中東地域に渡航滞在していたが、昭和五〇年一二月一二日、帰国したものである。

(2) 換字表について

警視庁は、昭和四九年二月四日、日本赤軍によるシンガポール・クウェート事件の国内捜査として、当時世界革命戦線情報センターの代表であつた足立正生(以下「足立」という。)の携行品等に対し捜索差押を実施し、同人が携行した手提鞄からメモ、ノート等五点を押収したところ、右押収品のメモの中から、日本赤軍構成員間における暗号通信用として現に使用されているとみられる「換字表」が発見されたが、右「換字表」の中に原告の氏名も「169中野マリ子」(原告の旧姓)と暗号数字で表示されていた。ところで、足立は、昭和四八年八月一三日、同年七月二〇日の日航機ハイジャック事件に関連し、パリのサンジャク・ホテルにおいて記者会見し、日本赤軍並びに「被占領地域の息子たち」の共同声明と題して、日航機ハイジャック闘争の意義等を発表するなど日本赤軍のスポークスマン的な役割を果たしており、また、昭和四九年九月のハーグ事件の際、和光ら犯人がシリア政府に投降した後、その釈放についてシリア政府と交渉するため、ベイルートからダマスカスに赴き、和光らと面接し、その状況をベイルートの重信らに報告し、その後も現在に至るまで、日本赤軍と合流して行動をともにし、日本赤軍の幹部の地位にあり、「換字表」の押収当時も日本赤軍の構成員であつた。

(3) 砂場恵美子(以下「砂場」という。)との関係について

日本赤軍構成員の山田が昭和四九年七月二六日フランスのオルリー空港内において、偽造旅券を行使したことによりフランス当局に逮捕された際、山田の所持品の中に、大阪市立大学理学部図書室事務員である砂場に宛てた航空郵便とみられる暗号記号を用いるなどして綴られた手紙一通が含まれていた。そこで、警視庁は、同年八月一〇日、シンガポール・クウェート事件の国内捜査の一環として、右砂場宅を捜索したところ、「四月一七日中野マリ子」、「四月二五日ベイルートマリ子」と発信名が記載された通信文二枚が発見されたが、右通信文はいずれもレバノン滞在中の原告から砂場宛に送られたものである。砂場は、日本赤軍構成員である山田を介して日本赤軍関係の通信文を受取る役割を果し、日本赤軍と極めて深い関係を有していたが、原告は、そのような砂場と通信文を交わす関係にあつた。

(4) 原告の寄稿記事「五・三〇闘争二周年アピール」について

原告は、後記のとおり、日本赤軍と極めて緊密な連繋関係にある人民新聞社(旧新左翼社)発行の新聞「新左翼」(昭和四九年六月五日付)を通じて、「五・三〇闘争二周年アピール」を発表し、日本赤軍による右闘争を高く評価し、これに賛意を寄せている。

(5) テルアビブ闘争支援委員会へのアピールについて

原告は、テルアビブ・ロッド空港事件直後に結成されたテルアビブ闘争支援委員会に対し、「パレスチナの戦列から」と題する昭和四七年七月一二日付アピールを送り、右委員会は、原告の右アピールを、日本赤軍(当時はアラブ赤軍)からのアピール、奥平純三(昭和四九年五月に日本を出国し日本赤軍の構成員となつた。)の「革命二戦士追悼にむけて」と題する投稿などとともに特集し、これをパンフレットにして発行した。なお、右委員会は、昭和四七年六月、日本赤軍(当時アラブ赤軍)のテルアビブ・ロッド空港事件を支持支援することを目的として共産同赤軍派の中から結成されたものであり、当時レバノンに在住していた原告が、いち早く、日本赤軍(当時アラブ赤軍)とともに、右委員会に対し、テルアビブ・ロッド空港事件に関連するアピールを送つたことは、原告が、レバノンに在住する日本赤軍(当時アラブ赤軍)の重信ら構成員と親密な関係があり、また、右委員会を組織する共産同赤軍派の構成員との間にも連繋関係を有していることを物語る。

(6) PFLP日本人医療隊について

原告は、日本赤軍の内部組織あるいは日本赤軍と極めて密接な関係にある組織である「PFLP日本人医療隊」、「日本PFLP医療委員会」に信原らとともに属していた。

(7) 足立との親交関係について

足立は、昭和四六年五月、映画「赤軍、PFLP世界戦争宣言」の制作のために、若松孝二(以下「若松」という。)とともにレバノンに赴き、ベイルート市内の当時重信が居住していたアパートの上階を借受けて居住していたが、原告は、信原とともに右足立らの居室を訪れるなど、同人らと親交があつた。

(8) 北川明(以下「北川」という。)との接触について

原告は、昭和五二年二月一一日、北川を代表とする「今パレスチナの意味を問う講演会実行委員会」が武蔵野公会堂において主催した「今パレスチナの意味を問う講演会」に参加し、北川とともに集会案内ビラを貼付するなど同人と接触関係を有していた。ところで北川は、日本赤軍による翻訳作戦の陰謀等に加わつており、日本赤軍構成員である。

(9) 重信との親交関係について

原告は、昭和四六年四月から昭和五〇年一二月までの間、中東地域に渡航滞在していたが、その間、日本赤軍構成員の重信と親交関係を有していた。

(10) 三多摩パレスチナと連帯する会について

原告は、昭和五二年二月一〇日、翌一一日に開催される「今パレスチナの意味を問う講演会」の会場周辺で「パスポートをよこせ」とのビラを配布するについての了解を得るため、東京都立川市柴崎町三―六―三所在の風林舎を訪れるなどし、同所内に事務所が置かれている「三多摩パレスチナと連帯する会」の構成員と接触関係を持つに至つた。ところで、「三多摩パレスチナと連帯する会」は、昭和五一年一一月、広河隆一(以下「広河」という。)、北川、行者らが中心となつて結成されたもので、日本赤軍に対する支援活動を行つている。

(11) 人民新聞社との関係について

原告は、人民新聞社に対し、再三寄稿し、昭和五〇年一月、同社の中東特派員になり、同社の編集長とも親交関係がある。ところで、人民新聞社は、次のとおり、日本赤軍とは極めて緊密な関係にある。すなわち、人民新聞社は、その発行する新聞「人民新聞」(旧「新左翼」を含む。以下同じ。)に、日本赤軍の声明等を極めて頻繁に掲載したり、また、日本赤軍の声明等をまとめた「団結をめざして―日本赤軍の総括―」を出版したり(なお、これは、同社の唯一の刊行物である。)して、日本赤軍に宣伝の場を提供し、また、その社説等で、テルアビブ事件を賛美し、日航ハイジャック事件犯人の日本への引渡に反対し、シンガポール事件への支持を表明し(このときには、足立が代表者である世界革命戦線情報センター等と共同で声明を発表した。)、日航ハイジャック事件でリビア政府に逮捕された日本赤軍構成員である丸岡に対する裁判支援等を呼びかけるなど、日本赤軍に対する支持支援を呼びかけていた。さらに、同社は、風林舎内に東京多摩支局を置いているが、前記のとおり、風林舎内には、日本赤軍に対する支援活動を行つている「三多摩パレスチナと連帯する会」の事務所も置かれている。

(12) 「パレスチナ人民大虐殺を許さない一〇・二四集会」への参加について

原告は、昭和五七年一〇月二四日、「三多摩パレスチナと連帯する会」、人民新聞社等が主催した「パレスチナ人民大虐殺を許さない一〇・二四集会」に、行者らとともにパネラーとして参加した。

(13) 信原との関係について

原告は、昭和四六年四月、信原とともに日本を出国して中東地域に渡航滞在し、その間、同人と行動をともにしていた。ところで、信原は、ハーグ事件の当時、日本赤軍のベイルートにおけるアジトに出入りして、日本赤軍と面会する日本人との連絡役をしており、また、足立から押収された「換字表」には、同人の氏名もコード番号化されているなど、日本赤軍関係者である。

(14) 久保田昇(以下「久保田」という。)との関係について

原告は、次の事実から明らかなように、奥平剛士と重信が昭和四六年二月二日に婚姻届を出した際にその証人となるなど右両名と極めて親密な関係にある久保田と、密接な親交関係があつた。すなわち、原告が、昭和五〇年一二月一二日帰国した際、羽田空港で警視庁公安部司法警察員から捜索を受けたが、その後に原告を迎えにきたのが久保田であり、原告は、その晩久保田宅に宿泊した。また、司法警察員が、原告から連絡先として指定された新左翼社に対し、電話で、原告からの押収物の還付の連絡をしたところ、久保田が、原告の代理人として警視庁へ出頭してきた。

(五) 旅券法一三条一項五号該当性

日本赤軍による従前の破壊活動に対しては、日本国内はもとより国際世論からも非難が浴びせられており、世界各国は、このような破壊活動等を惹起させないよう自国の出入国管理を強化する一方、日本赤軍関係者等によるテロ活動の中心的人物の所属国である日本に対しても、出入国の管理の強化及び破壊活動等の再発防止に努めるよう強く期待しており、また、国連総会においても、昭和五一年一二月一五日、人質行為防止の国際条約案の起草が全会一致で採択されるなど、テロ活動の防止に各国の協力が要請されている。このような国際的環境下にあつて、日本が、原告を日本赤軍関係者であると知りながら、その海外渡航を認めるに及んだときには、テロ活動防止に関するわが国の基本姿勢について世界各国から疑惑を招き、非難を浴びせられることは必定で、日本の国際的な信用を著しく損うおそれがあるばかりでなく、日本の国際関係に重大な影響をもたらし、ひいては、日本の国益を著しく、かつ直接に害するおそれがある。また、日本赤軍は、このような国際的な非難の中で、ますます孤立感を強める反面、その存在を世界に誇示するため、クアラルンプール事件、ダッカ事件にみられるように人質と交換に、日本で拘禁中の過激派及び一般刑事事件犯人らの釈放を求めて奪還するなどの犯行を重ね、海外組織の強化を図ろうとしている。このように、世界革命のためにはいかなる武装闘争、破壊活動をも辞さない構えを示している日本赤軍が破壊活動等を今後繰り返さないという保障のない状況下において、日本赤軍関係者と認められる原告の海外渡航を認めることは、直接、間接に日本赤軍の組織の充実をもたらすことにもつながり、日本の利益のみならず、日本の公安をも、直接、間接に侵害するおそれが極めて強い。

したがつて、原告は、旅券法一三条一項五号所定の「外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由のある者」に該当する。

四  被告らの主張に対する認否

1  被告らの主張1、2の主張は争う。

2  同3の冒頭の主張は争う。同3の(一)、(二)の事実は不知。同3の(三)ないし(五)の事実は否認する。

五  原告の反論

被告らが原告と日本赤軍との連繋関係の存在を根拠づける事実として主張する各事実は、そのほとんどが一〇年以上も過去の事実であり、次のとおり、いずれも些細なあるいは歪曲され曲解された意味のない事実にすぎず、原告と日本赤軍との連繋関係を認めるに足りないものばかりであり、さらに、原告が、一〇年以上の長きにわたつて、およそ日本赤軍と関係した事実が全くないことからすれば、原告が、日本赤軍と何ら連繋関係を有しないことは明らかである。

1  原告の中東地域への渡航滞在について

原告がレバノンへ渡航したのは、パレスチナ難民キャンプにおいてボランティア看護婦として奉仕する目的のためであり、市民団体であるパレスチナ難民支援センターに送り出され、右渡航には権威のあるアラブ連盟や日本アラブ協会の後援を得ていた。原告は、五年間、レバノンのパレスチナ難民キャンプで、看護婦として誠実に献身し、このことによつてパレスチナにおける日本の評価を高め、日本とアラブの友好を増進させた。また、原告は、日本がパレスチナ問題に理解と接触を深めることについて日本人として先駆的役割を果たし、その功績は高く評価されてきた。

2  換字表について

足立の押収品の中から発見された「換字表」に原告の氏名の記載があることから何故に原告が日本赤軍と連繋関係があるといえるのか、これを説明しうる事情はなんら明らかにされていないし、「換字表」をみると、原告の氏名は「169中野マリ子」として後方に位置し、いかにも付け足しのように記載され、重要視されていないように見受けられるうえ、そもそも、「換字表」自体、その内容、発見後の経緯などからすると、その真実性に疑いのもたれるものである。

3  砂場との関係について

原告は、砂場とは何の面識もなく、砂場との間で通信を交したことは全くない。砂場宅において押収された原告の通信文は、いずれも、原告から人民新聞社編集部に宛てて発信されたものであり、これが砂場宅で発見されたのは、当時人民新聞社の社員であり砂場の夫であつた砂場徹が、たまたま、右通信文を自宅に持ち帰つていたためである。

4  原告の寄稿記事「五・三〇闘争二周年アピール」について

原告は、レバノン滞在中の五年間、「新左翼」紙へ寄稿を続け、約四〇件が記事として、右紙上に掲載されたが、その記事内容はすべてパレスチナ難民の状況報告及びパレスチナ解放闘争の現場報告であり、ボランティア看護婦としてパレスチナ難民と生活を共にし、パレスチナ解放闘争に深い共感を有する原告が、右闘争の現場で直接目撃し体験した諸状況、すなわち、パレスチナ人民の闘いぶり、生活と感情、その他現地の政治情況等について特別な体験をしつつある一個人の立場から、日本に対して報告紹介したものである。それらは、戦争の現場からの生々しい報告であるから、その記事内容には、感情の高揚や激しい表現が見受けられるが、原告が日本赤軍の関係者であることや、日本赤軍と関係する行動を行つたことを示す事柄は全く見受けられず、かえつて、日本赤軍とは一歩距離を置いた原告の姿勢を読み取ることができる。被告らは、原告の数多くの寄稿文のうち、昭和四九年六月五日付「五・三〇闘争二周年アピール」をとり上げるが、そもそも、テルアビブ・ロッド空港事件は、単に日本赤軍が独自の思いつきで執行した暴挙ではなく、PFLPと日本赤軍との共同作戦の下に、パレスチナの被占領地で戦われたパレスチナ解放闘争の一場面であり、もとより単なるテロ活動ではなく、PLO・パレスチナ人民だけでなくアラブ諸国政府も右闘争を支持していたのであり、パレスチナ人と共に在りパレスチナ人と感情を共有していた原告が、右闘争を支持する意見を抱くということは、いわば当然のことであり、原告が右意見を表明するということは、言論の自由という憲法で保障された基本的人権の行使にほかならず、原告が、右意見を有し、これを表明したからといつて、日本赤軍の組織や戦略戦術と同調し、これを支持していることにはならない。

5  テルアビブ闘争支援委員会へのアピールについて

原告は、テルアビブ闘争支援委員会を知らないし、右委員会に対し、「アピール」を送つたこともない。被告ら主張の文章は、実際は、原告が人民新聞社に対し送つた通例の寄稿文であり、その内容も、従前の寄稿文と同じく中東現地からの状況報告にすぎない。右寄稿文が右委員会のパンフレットに掲載されたのは、右寄稿文が人民新聞社から右委員会へ流れ、右委員会が原告に無断でこれを資料として使つたという経緯によるものである。

6  PFLP日本人医療隊について

原告は、「PFLP日本人医療隊」という組織を全く知らないし、PFLPという党派とは無関係であり、むしろ右党派には批判的であつたのであるから、原告がそのような組織に属することはありえない。

7  足立との親交関係について

原告が足立と会つたのは、たまたまいき合わせた一回だけであつて、この程度のことを「親交」と言うことはできない。また、原告と足立らが会つた時期である昭和四六年五月には、日本赤軍はまだ旗揚げもしておらず、日本大使館は、当時、重信の住所を把握し、日本から訪ねてくる者に同人の住所を案内しており、足立も、まだ日本赤軍の外部の人間として、映画製作のため、重信と接触したのである。

8  北川との接触について

原告は、昭和五二年二月一一日、自己に対する旅券の発給が妨げられていることを広く世に訴えるため、「今パレスチナの意味を問う講演会」で自作のビラを配付しようと考え、右講演会に参加したが、当日、原告がもちまえの世話好きから右講演会の会場入口に道案内の標識を貼付するのを手伝つた際、たまたま手伝つた相手が北川であつたにすぎず原告は、北川とはこの時が初対面で、貼付の手伝いをしながら同人と立話しをしただけであり、名前も知らなかつたし、その後顔も覚えていない。

9  重信との親交関係について

原告は、レバノン滞在の初期のころ、重信と付き合いがあつたが、重信とは、日本出国前には面識がなく、現地で初めて出会つたものであり、交際期間も、テルアビブ・ロッド空港事件が起こるまでのごく一時期のことで会つた回数も多くなく、付き合い内容も新聞記者を交えたりしながら食事やおしやべりをするというもので、別段政治的活動を共にしたというものではなく、日本人女性同士としての世間付き合いであつた。

10  三多摩パレスチナと連帯する会について

原告は、8で述べたビラを配るための了解を得るために風林舎に行つたことがあるにすぎず、同会とはなんらの関係を有しない。なお、同会を結成した広河は、著名な国際フォトジャーナリストであつて、日本赤軍関係者ではなく、また、同会が日本赤軍の支援活動をしているとの事実は立証されていない。

11  人民新聞社との関係について

人民新聞社は、昭和四三年一二月一二日、「新左翼」紙について第三種郵便物の認可を受け、以後原則として毎月三回の割合で継続して発行し、昭和五一年四月一日には同紙を現在の人民新聞と改題して今日に至つている。同紙は、部数数千を有する新左翼的立場の全国紙であり、国内外の政治活動、市民運動、労働運動等に関する報道及び解説を新左翼的立場から掲載してきた。人民新聞紙上に日本赤軍の声明文が掲載されたのは、同紙が新左翼勢力全体に開かれたメデイアとしての性格を有するからにすぎないし、その掲載回数が多いのは、日本国内の新左翼諸党派が壊滅状態の中で日本赤軍が活発に活動し、しかもパレスチナという世界政治の焦点で活動していたためであり、同紙が日本赤軍に特別に宣伝の場を提供したからではない。また、被告らが、人民新聞が日本赤軍への支持、支援を呼びかけたと主張するものは、パレスチナ解放運動への支持、支援の呼びかけであり、またあるものは政治的弾圧に対する救援活動であつて、日本赤軍への支持、支援とは区別されるべきものである。人民新聞社と風林舎との関係も、同社が風林舎の一室を借りていたというものにすぎず、被告らが主張するような特別な関係はない。また、原告は、昭和五〇年一月に新左翼紙の特派員となつたが、これは、レバノン現地の内戦状態の中で、身の安全を計るべく、ジャーナリストの身分証明書が有効であるとの便宜的判断から、従前同紙に寄稿していた関係上、同紙の許可を得て便宜的に特派員の名称を使つたにすぎない。

12  「パレスチナ人民大虐殺を許さない一〇・二四集会」への参加について

昭和五七年一〇月二四日開催された「パレスチナ人民大虐殺を許さない一〇・二四集会」は、人民新聞社主催で、大阪市立労働会館において行われた公開の集会であり、原告は、人民新聞社の渡辺編集長の依頼により、これに出席し、「私とパレスチナ」と題する座談会で発言し、行者も右座談会に出席し発言したが、原告は、行者とはその時が初対面で、それまでになんの面識もなく、その後もなんの交渉もない。

13  信原との関係について

信原は、原告とともに、医療機関のボランティアとして現地に渡航したのであるから、原告が同人とある程度の交遊関係を有していたのは当然のことである。しかも、原告は、信原が、レバノンに赴いて一年位した後、ジェルサレム病院を辞めて急進派グループの経営する病院へ移つたり、日航ハイジャック事件が起きた際、これを批判する原告と信原の意見が対立するなどしたため、信原との交際関係はほとんどなくなつていた。

14  久保田との関係について

原告は、昭和五〇年一二月一二日に帰国した際、連絡の手違いから羽田空港に迎えがなかつたので、原告の以前の勤務先の経営者であつた安本雅一(以下「安本」という。)に電話で連絡したところ、同人の世話で同空港に出迎えにやつて来たのが久保田であつたのであり、原告と同人とは、その時が初対面であつた。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、本件処分の違憲性及び違法性について判断する。

1  B規約違反の主張について

原告は、旅券法一三条一項五号は、旅券発給の制限理由を極めて漠然かつ不明確にしか規定していないから、B規約一二条二項三項に違反する旨主張するが、旅券法一三条一項五号が「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定したのは、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ、右規定が旅券発給の制限理由として示す基準が漠然かつ不明確なもので、B規約一二条三項の「法律による制限」の要件を満たしていないということはできないから、原告の右主張は理由がない。

2  理由付記の不備の主張について

原告は、被告外務大臣が本件処分の通知書に付記した理由の中の「連繋関係」との文言は具体的な事実関係を示すものとはいえず、原告が日本赤軍と連繋関係を有するとの理由では、旅券法一四条で付記することを要求されている理由の表示としては不十分であつて、本件処分には理由付記の不備の違法がある旨主張する。

ところで、旅券法一四条が一般旅券発給拒否通知書に拒否の理由を付記すべきものとしているのは、一般旅券の発給を拒否すれば、憲法二二条二項で国民に保障された基本的人権である外国旅行の自由を制限することになるため、拒否事由の有無についての外務大臣の判断の慎重と公正妥当を担保して、その恣意を抑制するとともに、拒否の理由を申請者に知らせることによつて、その不服申立に便宜を与える趣旨に出たものというべきであり、右の理由付記制度の趣旨にかんがみれば、一般旅券発給拒否通知書に付記すべき理由としては、いかなる事実関係に基づき、いかなる法規を適用して一般旅券の発給が拒否されたかを、申請者においてその記載自体から了知しうるものでなければならず、一般旅券の発給拒否の事由のうち旅券法一三条一項五号が規定するような概括的、抽象的な事由については、発給拒否の基因となつた事実関係をその記載自体から了知しうるように具体的に記載しなければならないと解するのが相当である。本件についてこれをみると、被告外務大臣は、本件処分の通知書に本件処分の理由として、「貴殿(原告)は、従前からいわゆる日本赤軍と称せられる過激派集団と連繋関係があると認められ、同集団のこれまでの活動等に鑑み、貴殿は、旅券法一三条一項五号にいう著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者に該当する」と付記したことは当事者間に争いがないところ、日本赤軍は、後記4(一)で認定のとおり、これまで海外で度重なる破壊的暴力活動を敢行してきた極左集団であつて、今後も同様の活動を行う危険性が存在し、この事実は新聞、雑誌、テレビ等の報道によつて広く知られ、公知の事実となつているところであり、一般旅券の申請者について、日本赤軍のこれまでの破壊活動にかんがみて日本国の利益または公安を害する虞のあるような日本赤軍との「連繋関係」がある者とは、申請者が日本赤軍の構成員であるとか、日本赤軍への単なる共感者にとどまらず日本赤軍に対して有形無形の支援活動をするなどして日本赤軍の破壊活動を援助助長するような関係のある者を意味することは自ずと明らかであり、「連繋関係」との文言のみを取り出せば、抽象的かつ多義的であるといえなくもないが、前記の付記された理由全体をみれば、右趣旨を読みとることは容易であるから、右理由は一般旅券発給拒否の基因となつた事実関係の記載として欠けるところはないというべきである。したがつて、原告の前記主張は失当である。

3  同一処分の蒸し返しの違法の主張について

原告は、理由付記の追完が許されないことから、前処分時に付記しえた理由をもつて前処分と同一内容の新たな処分をすることは許されないところ、本件処分は、前処分が理由付記の不備の違法により取消されたにもかかわらず、前処分の理由としたところと同じ理由を付記してなされたものであり、同一処分の蒸し返しとして、旅券法一四条及び行訴法三三条二項に違反する旨主張する。

しかし、前処分が最高裁判所判決により取消されるべきものとされた理由は、外務大臣において旅券法一三条一項五号の規定を根拠に一般旅券の発給を拒否する場合には、申請者に対する通知書に同号に該当すると付記するのみでは足りず、いかなる事実関係を認定して申請者が同号に該当すると判断したかを具体的に記載することを要し、単に「旅券法一三条一項五号に該当する。」と理由を付記されているにすぎない前処分の通知書は、同法一四条の定める理由付記の要件を欠くもので、前処分は違法であるというものであることは当裁判所に顕著な事実である。そうすると、被告外務大臣は、本件申請に対しては右判決の趣旨に従つて、いかなる事実関係を認定して原告が同号に該当すると判断したかを具体的に記載しなければならないとの拘束を受ける(行訴法三三条二項)こととなるが、被告外務大臣が本件処分の通知書に旅券法一三条一項五号に該当すると判断した具体的な事実関係を付記したことは前記2で判示したとおりであるから、本件処分に行訴法三三条二項の違反はない。また、被告外務大臣が判決によつて前処分を取消された後に本件申請に対してする処分は、前処分とは別個の処分であるから、被告外務大臣は、右処分の通知書に前処分の際に付記しえた前処分と同じ理由を付記しえないとの制約を受ける根拠はなく、この点の原告の主張も失当である。

4  旅券法一三条一項五号該当性の有無について

被告は、原告が日本赤軍と連繋関係を有しており、日本赤軍の組織実態、破壊活動歴、今後の破壊活動再発の危険性にかんがみると、原告は、旅券法一三条一項五号の「著しく且直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当する旨主張するので、この点について判断する。

(一)  日本赤軍の組織実態、破壊活動歴、今後の破壊活動再発の危険性について

<証拠>を総合すると、被告らの主張3(一)ないし(三)の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の日本赤軍の組織実態、破壊活動歴、今後の破壊活動再発の危険性にかんがみると、日本赤軍と連繋関係を有する者(さきにみたように、日本赤軍の構成員であるとか、または、単に共感者であるにとどまらず日本赤軍に有形無形の支援活動をするなどして日本赤軍の破壊活動を援助助長するような関係のある者を意味すると解される。)は、旅券法一三条一項五号の「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当するというべきである。

(二)  原告と日本赤軍との連繋関係の存否について

(1) 原告の経歴等

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

① 原告は、昭和一八年四月二五日大分県の貧しいみかん農家に生まれ、中学卒業後小学校の用務員となつて一年間稼働し、その間の収入を蓄えて学資にして高校に進学した。原告は、昭和三八年、高校卒業後、集団就職で大阪に出てきて、レストランのウエイトレス、広告代理店従業員、食堂の店員等の職を転々としたが、その間、労働組合の書記をしたり、サークル活動等で活動家と交流するうちに社会の矛盾を感じ、社会問題等に目を向けるようになつた。原告は、昭和四五年六月には、日本キューバ文化交流研究所の公募に応じて「砂糖きび刈り奉仕団」の一員としてキューバに渡航し、約三か月間砂糖きび刈り労働に従事したり、キューバ国内を旅行したりした。原告は、キューバからの帰国後、飲食店の店員として働いていたが、パレスチナ難民の惨状を聞いて心を動かされ、市民団体の支援を受けてパレスチナ難民キャンプにおいてボランティアの看護婦として救援活動をすることとして、訓練のための看護婦見習い期間を経て、昭和四六年四月、医師の信原とともにレバノンに渡航した。

② 原告は、渡航後レバノンのベイルートにあるPLOの運営するジェルサレム病院で約一年間、パレスチナ難民キャンプ内にあるハイファ病院で約四年間ボランティアの看護婦として活動し、昭和五〇年一二月一二日、日本に帰国した。その間、原告は右各病院で献身的に働き、現地の人々から信頼を獲得し、またもちまえの明るさのため慕われ人気者となつた。また、原告は、パレスチナ難民キャンプ内に在住する数少ない日本人であり、PLO関係者からも信頼を得ていたために、パレスチナ難民キャンプを訪れる日本人の政治家、報道関係者、作家等にキャンプ内を案内したり、PLOやパレスチナ難民についての取材等に協力し、原告自身も、レバノンの在留期間を通じて現地での体験を新左翼(後の人民新聞)紙に寄稿し続けた。

③ 原告は、昭和五〇年一二月、レバノンから日本に帰国した後は、以前労働者学校で知合つた友人で、詩人の芝充世方に一時身を寄せ、週刊誌に寄稿したり、スナックのホステス、事務員のアルバイト、スナックの雇われママ、喫茶店のウエイトレスなどをして生計を立てていたが、昭和五四年水野照明と内縁関係となり同人との間に昭和五五年には長男、昭和五七年には二男をそれぞれもうけ、また長男が出生したのを機に水野照明との婚姻届を出して大阪市西成区のあいりん地区に居住し、同人との間で子らを養育して家庭を築いており、昭和五八年からは同地区内で日雇いの労働者を相手にした立ち飲み屋で稼働するようになり現在に至つている。また、その間、原告は、パレスチナ戦傷児に日本で医療を受けさせる運動をはじめ、冬期のあいりん地区における野宿者に対する救援活動やさまざまな社会運動・市民運動に関わつているが、日本赤軍はもとより政治的な党派との関わりはなかつた。

④ 原告は、いわゆる新左翼的な立場に共感し、これまでもちまえの旺盛な行動力から海外に渡航してパレスチナ難民救済に関わりパレスチナ解放運動を目のあたりにしたり、市民運動や社会運動にも積極的に関わつてきたが、その行動の基盤には政治的な動機よりも最底辺の人々や民族的に虐げられ悲惨な境遇に置かれた人々への同情、共感といつた人道的な感情が強く存しており、日本赤軍やこれと関係の深いPFLPのハイジャックやテロ等の活動については批判的であり、レバノンに在留中現地で会つた知人にこの見地を明らかにしていたし、帰国後間もない時期で本件申請をする前にされた週刊誌のインタビューに対してもその旨を述べ、かつ日本赤軍とは距離をおいた発言をしている。

(2) 原告と日本赤軍との連繋関係についての被告らの主張の検討

① 原告の中東地域への渡航滞在について

原告が昭和四六年四月から昭和五〇年一二月にかけて中東地域に渡航滞在していたことは、前記(1)①、②に認定したとおりであるが、その渡航する経緯、渡航中の行動をみれば、右事実が原告と日本赤軍との連繋関係を疑わせるものではないことは明らかである。

② 換字表について

<証拠>を総合すると、足立は、昭和四八年八月一三日、同年七月二〇日の日航機ハイジャック事件についてパリのサンジャク・ホテルで記者会見し、日本赤軍と「被占領地域の息子たち」の共同声明と題して、日航機ハイジャック闘争の意義等を発表するなど日本赤軍のスポークスマン的な役割を果たし、昭和四九年九月のハーグ事件の際には和光ら犯人がシリア政府に投降した後にその釈放について同国政府と交渉するためベイルートからダマスカスに赴いて和光らと面接してその状況を重信らに報告するなど、日本赤軍の構成員として活動している者であるが、昭和四九年二月四日、警視庁がシンガポール・クウェート事件の国内捜査の一環として足立の携帯品を押収したところ、その中に1から191までの数字とその数字のそれぞれに対応させて人名、地名その他の言葉が記載された三枚のメモが発見されたこと、そのメモには重信を表すものとみられる「1マリアン」、信原を表すものとみられる「2ソアド」、山口淑子参議院議員を表すものとみられる「20山口女史」、「102周恩来」、「106シアヌーク」、「168竹中労」などの記載とともに、一六九番目に、「169中野マリ子」と原告の氏名(旧姓)が記載されていたこと、右メモは足立が暗号文を作成したり、同人に宛てられた暗号文を解読するためのものであるとみられることが認められるが、原告の氏名は一九一番までの言葉のうち一六九番目という後方の位置に記載され、重信や信原と比較すればかなり軽い扱いしかされていないとみられること、右メモが押収された当時、原告はベイルートのパレスチナ難民キャンプに在住する数少ない日本人であつて現地では有名人であつたから、原告の氏名が右メモに登場することは特に異とするに足りないし、右メモには日本赤軍と関係のない多くの人名が記載されていることなどからすると、右メモに原告の氏名の記載があるからといつて、原告と日本赤軍との連繋関係を認めることはできない。

③ 砂場との関係について

<証拠>を総合すると、日本赤軍の構成員である山田は、昭和四九年七月二六日、フランスのオルリー空港内において偽造旅券を行使したことによりフランス当局に逮捕された際、その携帯品の中から「MASAKO WADA」から「EMIKO SUNABA」に宛てた航空便とみられる手紙一通が発見された。警視庁は、その後の捜査の結果、「EMIKO SUNABA」は、大阪市立大学理学部図書室事務員の砂場であることが判明したので、同年八月一〇日、シンガポール・クウェート事件の国内捜査の一環として、右砂場宅を捜索し、メモ、通信文等六点を押収したところ、右押収品の中に原告発信の四通の通信文(五葉からなる。)が発見されたこと、しかし、右通信文は、いずれも原告が新左翼社に宛てて発信した同社への寄稿文もしくは連絡文であつて、砂場に宛てたものではなく、そのうち三通は、同社発行の新左翼紙上に記事として掲載されたこと、右通信文が砂場宅から発見されたのは、砂場の夫である砂場徹が、当時、新左翼社の堺支局員であり、同人がたまたま右通信文を自宅に保管していたためであつて、原告は、砂場とは面識がなく、通信を交わしたこともなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に照らせば、原告が発信した通信文が砂場宅から発見されたことから、原告と右砂場との間に交流があることを推認することはできないから、右事実から原告と日本赤軍とのなんらかの関係があることを推認することもできないというべきである。

④ 原告の寄稿記事「五・三〇闘争二周年アピール」について

前記(1)①②③の認定事実、<証拠>を総合すると、原告は、新左翼紙に日本赤軍らが行つたテルアビブ・ロッド空港事件二周年に際しての記事を寄稿し、同紙昭和四九年六月五日付の紙面に「五・三〇闘争二周年アピール 勝利か死か!戦時下のレバノンより」との見出しで掲載された(見出しは新左翼社側で原告に断りなくつけた。)が、その中には日本赤軍の行つた右事件や事件を敢行した日本赤軍のコマンドである岡本を賛美する趣旨の記述がみられ、その末尾には、「私も三度目の戦争への決意をととのえたナースとして陣地にいる。勝利か死か! 革命的誠意をこめて、パレスチナの戦列から」との記述があること、しかし、右事件は、PLOやパレスチナの人々の間では、パレスチナ民族解放闘争の戦場における戦闘行為として高く評価され、当時、これを敢行した日本赤軍及びそのコマンドらはパレスチナの人々から熱烈な支持を受けて英雄視されていたこと、原告は、パレスチナ解放運動に強い共感をもち、パレスチナ難民キャンプにあつてパレスチナの人々と起居をともにし、戦争により負傷したパレスチナ人の看護に当つて、イスラエルと戦うパレスチナ人と感情を共通にしていたため、パレスチナの人々とともに右事件における日本赤軍の行動を基本的には支持するとともに、パレスチナ難民キャンプの人々がどのような思いで暮しているかなど現地の実情を日本人に知らせたいとの気持から、現地の生々しい状況やパレスチナ人の感情を記述寄稿したもので、その文章は、自らも看護婦としての救援活動を通じてパレスチナ解放闘争に参加しているとの思いから、時に感情の高揚のまま激越な表現となつている部分もあるが、全体としては現地の実情報告とパレスチナ人の心情を日本人に強く訴えようとする趣旨の文章とみることができるのであつて、日本赤軍のハイジャックやその余の破壊活動については人道主義の立場から明確に批判的な見地をもち、これを支持賛美するような記事の寄稿をしたことはないことが認められる。右認定事実に照らせば、原告の寄稿文中にテルアビブ・ロッド空港事件を支持賛美する趣旨の記述がみられるからといつて、原告と日本赤軍との連繋関係を推認することはできないというべきである。

⑤ テルアビブ闘争支援委員会へのアピールについて

前記(一)の認定事実、<証拠>を総合すると、日本赤軍の母体ともいうべき共産同赤軍派の構成員によつて結成されたものとみられるテルアビブ闘争支援委員会が昭和四七年八月一六日ころ発刊した出版物「八・一六パレスチナ人民・インドシナ人民連帯 日本二戦士追悼国際集会・資料集 テルアビブ闘争支援委員会通信」中に、原告の「パレスチナの戦列から」と題した文章が掲載されており、右文章は、同年七月二五日付新左翼紙に掲載された記事と同じ原告の原稿に基づいて掲載されたこと、右文章には、「パレスチナ革命の日本の三人の英雄の戦いから一か月と一〇日たつた」との記載があるが、全体としてみると、テルアビブ・ロッド空港事件後のレバノンとパレスチナの人々の状況を原告自身が現地で見聞きしたところに基づき報告したものであり、直接には原告が新左翼紙の記事として寄稿する目的で作成され、原告から新左翼社に寄稿されたものであること、新左翼社は、右の寄稿があつた当時、さしつかえがない限り寄稿された記事の原稿、資料のコピー等の求めに応じていたこと、原告は、テルアビブ闘争支援委員会の存在を知らず、右団体に右文章の掲載について了承を与えたことはないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に照らせば、テルアビブ闘争支援委員会の前記資料集に原告の文章が掲載されたのは、原告の新左翼社への寄稿文が新左翼社から原告の了承なく右委員会に持出されたためである可能性が強く、右資料集掲載の事実があるからといつて、原告と右委員会、ひいては共産同赤軍派、日本赤軍との連繋関係を推認することはできない。

⑥ PFLP日本人医療隊について

<証拠>を総合すると、テルアビブ・ロッド空港事件を契機にして昭和四七年八月足立らを中心として結成された世界革命戦線情報センター(IRE・IC)等が昭和五〇年六月三〇日発行した出版物である「隊伍を整えよ―日本赤軍宣言」中には、「PFLP日本人医療隊」と称する団体の昭和五〇年五月三〇日付「リッダ(ロッド空港のこと)闘争三周年パレスチナ人民連帯インドシナ革命勝利連帯集会へのアピール」、昭和四八年五月二〇日付「テルアビブ銃撃戦争一周年五・三〇行動へのアピール」と題する各文章及び「日本PFLP医療委員会」と称する団体の昭和四七年八月一〇日付「連帯のあいさつ」と題する文章が掲載されており、右各文章は、いずれもテルアビブ・ロッド空港事件を賛美し、うち「テルアビブ銃撃戦争一周年五・三〇行動へのアピール」には、「我々は、一昨年よりパレスチナ難民の闘い、特にイスラエルに故郷を追われ、アラブ諸地域をさすらうパレスチナ人民が祖国奪還のため一丸となつて闘つている闘争を支援しようと、パレスチナ難民キャンプ及びレバノン南部国境での医療活動を行つて来ました。」との記載があること、右文章の作成当時PLOの医療部門に従事していた日本人は、原告と信原だけであつたこと、しかし、PFLP日本人医療隊及び日本PFLP医療委員会の組織実態がどのようなものか判明しておらず、原告は右のような団体を知らない旨述べていること、原告はPFLPに対しては批判的な見方をしていること、原告は、渡航後約一年後には一緒に渡航した信原と別々の医療機関で働くようになり、その後間もなくいわばけんか別れのような状態となつて信原とともに行動するような関係ではなくなつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に照らせば、前記文章の作成当時PLOの医療部門に従事していた日本人は原告と信原だけであつたことから、直ちに原告がPFLP日本人医療隊もしくは日本PFLP医療委員会に所属していたものと推認することはできず、原告がPFLP、ひいては日本赤軍と連繋関係を有するとすることもできない。

⑦ 足立との親交関係について

<証拠>を総合すると、原告は、昭和四六年五、六月ころ、ベイルートの重信のアパートを信原と訪ねた際に足立と会つたこと、足立は、当時、若松(本名伊藤孝)とともに映画製作に従事しており、右若松とともにカンヌ映画祭に出席した帰途にアラブゲリラの実態を描く映画を製作しようと考えて、同年五月レバノンに立ち寄り、ベイルートの重信のアパートのある建物に一時部屋を借りていたものであるが、当時は、日本赤軍は旗揚げしておらず重信も所在を明らかにし現地の在留邦人とも交際のあつた時期であり、足立もまだ日本赤軍の構成員ではなく普通の市民としての生活を送つていたこと、原告は、たまたま重信宅を訪れた際に、偶然足立と出会つたのであり、その際の話も雑談の域を出なかつたこと、それ以後、原告は、足立とは会つたことがないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実によれば、原告と足立との間に原告と日本赤軍との連繋関係の存在を疑わせるような親交があつたといえないのは明らかである。

⑧ 北川との接触について

<証拠>を総合すると、原告は、昭和五二年二月一一日、本件申請により旅券が発給されないことの不当性を訴えるため、武蔵野公会堂において開催された「今パレスチナの意味を問う講演会」(今パレスチナを問う講演会実行委員会《代表北川》主催、講演者・小田実ほか三名)に赴き右会場で右旅券不発給の不当性を訴えるビラを配布したが、その開会前に、主催団体代表者の北川が会場入口付近の柱に講演会の案内ビラを貼付するのを、同人と談笑しながら手伝つたこと、原告は、北川とはこのときが初対面で、名前も知らなかつたし、その後も昭和五三年九月ころ、原告が雇われママをしていた大阪市内のスナックで、友人の芝充世が客として連れて来た北川と一回会つて、初めて自己紹介を受けたことがあるだけであること、北川は、日本赤軍のいわゆる翻訳作戦に関与しており、日本赤軍の構成員とみられていることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実に照らすと、原告が北川とビラを貼付したり談笑したりしたことから、原告と北川とに親交があると認めることはできないし、原告と日本赤軍との連繋関係を推認することもできないというべきである。

⑨ 重信との親交関係について

前記(1)①②の認定事実、<証拠>を総合すると、原告は、昭和四六年四月、レバノンに渡航してベイルートのジェルサレム病院に勤務し始めてから数か月後、原告と信原を訪ねて同病院に来た重信と初めて会い、以後、テルアビブ・ロッド空港事件が発生する前まで、右病院、同人のアパート、キャンプ付近のレストラン、新聞記者の部屋などで一〇回前後、信原とともに重信と会い、時には新聞記者らをも交じえて、食事をしたり話をしたりしたが、政治的な話をしたことはなかつたこと、原告は、右以前は重信とは全く面識はなく、また、右事件後も同人と会つたことはないこと、重信は、新左翼紙に寄稿し昭和四七年九月一五日付の同紙に掲載された「日本人の同志友人へ」と題する文章中で、「同志」に対して呼びかけたものとともに、「マリちやんの記事読みました。マリちやんがんばれよ。同じことをいつも考えて歩いているんだ。しばらく会えないけれど、生きてりや、又会えるさ。闘いの中で闘う者の気持ちはいつも一つだからね。」と原告に対して呼びかけ激励していること、重信は、日本赤軍の幹部であるが、原告と重信が会つていた時期であるテルアビブ・ロッド空港事件の前にはまだ日本赤軍もしくはアラブ赤軍は旗揚げしておらずその存在は一般には知られず、同人は、日本大使館にも所在を明らかにしており、ベイルートの日本人大使館員、在留邦人とも交流・交際があつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実及び前記(一)の認定事実によれば、原告と重信との間には一時期交際があつたことが認められるが、原告と重信との交際のあつた時期は日本赤軍が旗揚げする前であつて重信が通常の市民生活を送つていた時期であり、原告と信原は当時ベイルートのパレスチナ難民キャンプ内にいた数少ない日本人女性であつたから、原告及び信原と重信とが同じ日本人女性としてお互いに交流を求め合つても特に異とするには足りないし、その交際内容も通常の市民生活の中での友人としての交際の範囲を逸脱するものではなかつたこと、重信は、テルアビブ・ロッド空港事件後の寄稿記事の中で原告に対し前記のように呼びかけ激励しているが、右記事では日本赤軍関係者を指すと思われる者に対しては「同志」と呼びかけているにもかかわらず、原告に対しては「マリちゃん」と呼びかけ、明らかに区別していると読み取れるし、原告はパレスチナ解放運動に対しては強い共感をもち、自らも看護婦としての救援活動を通じて右運動に参加しているとの意識を有していたことは前記④で認定したとおりであるから、右文章は、重信がこの点についての信条を共通にし、かつて交際したことのあつた原告に対し、親愛の情を示したものと受けとられることが認められる。右事実によると、原告と重信との間に一時期交際があつたことから、原告と日本赤軍との連繋関係を推認することはできないというべきである。

⑩ 三多摩パレスチナと連帯する会について

前記⑧の認定事実、<証拠>を総合すると、原告が、昭和五二年二月一〇日、翌一一日の「今パレスチナの意味を問う講演会」の会場において、旅券が発給されないことの不当性を訴えるためのビラを配布することについての了解を受けるために主催団体の所在地である東京都立川市柴崎町三―六―三所在の風林舎を訪れたこと、右風林舎の建物には、人民新聞社の東京多摩支局、保育所、印刷所とともに「三多摩パレスチナと連帯する会」の事務所があつたこと、「三多摩パレスチナと連帯する会」は、昭和五一年一一月、パレスナチの実情を広く一般に知らせることを目的として報道写真家の広河らによつて結成されたが、日本赤軍の構成員もしくは関係者とみられる北川、行者が結成に関与し、昭和五四年九月以来行者がその代表であるため、公安当局から日本赤軍の国内支援組織の一つと目されていること、原告が風林舎を訪れたころは、設立時から引続いて広河が代表をしていた時期であることが認められるが、右のほかに原告と「三多摩パレスチナと連帯する会」との関係を窺わせるような事実を認めるに足りる証拠はないし、原告が風林舎を訪れたのはいまだ広河が代表をしていた時期であることにも照らすと、原告が右会との関係を通じて日本赤軍との連繋関係を有していたと推認することはできないというべきである。

⑪ 人民新聞社との関係について

前記(1)②の認定事実、<証拠>を総合すると、人民新聞社の前身である新左翼社は、昭和四三年八月に渡辺雄三、日角八十治らによって、大阪市内に本社を置いて設立され、「新左翼」と題する新聞の発刊を開始し、昭和五一年四月人民新聞社と名を変え、同じころから右新聞の名称も「人民新聞」と改め、現在は月三回の割合で約六三〇〇部を発刊していること、同社は、日本赤軍が外国から同社宛に航空便で一方的に送付してくる声明文を全文そのまま新左翼紙及び人民新聞紙に数多く掲載し、日本赤軍の諸活動を評価しその支持支援を呼びかける主張をしたり、日本赤軍作製のポスター販売を斡旋する記事を載せたりしたこと、新左翼社は、昭和五二年、日本赤軍の声明等をまとめた「団結をめざして―日本赤軍の総括―」を発行し、右書籍は、新左翼社及び人民新聞社が出版した唯一の書籍であること、人民新聞社の東京多摩支局は、東京都立川市内の風林舎内にあり、風林舎内には前記の「三多摩パレスチナと連帯する会」の事務所があること、一方、新左翼紙及び人民新聞紙は、新左翼諸党派に開かれた報道媒体として発刊され、当初はいわゆる新左翼的立場からの政治運動や政治的主張の報道に力点があつたが、新左翼運動の退潮にともない、人民新聞と名を変えたころから、市民運動や労働運動の事実及び主張の報道、意見の交流に重きを置くようになつたこと、新左翼社が設立され新左翼紙が発刊され始めた時期には、日本赤軍はもちろん共産同赤軍派も存在しておらず、新左翼紙及び人民新聞紙は、新左翼諸党派に関する報道を行い、共産同赤軍派や日本赤軍が生まれてからもそれらの報道ばかりでなく、他の新左翼諸党派、市民運動、労働運動等に関する報道も行つており、また、日本赤軍を批判する意見の投稿も掲載していたこと、人民新聞社の社員は、これまで、日本赤軍の関係者として旅券の発給を拒否されたことはなく、昭和五三年ころ中東方面や北アフリカ方面等へ取材や親善のために渡航していること、原告は、レバノン渡航後、パレスチナ難民の状況やパレスチナ解放運動について日本人に知つてほしいと考えて、原告が労働組合の書記をしていた昭和三九年ころ、解雇等の問題で取材を受けて知り合つた新左翼紙の編集責任者である渡辺雄三(当時は別の報道機関の記者をしていた。)に新左翼紙に寄稿した文章を掲載してくれるよう求めて同紙に寄稿するようになり、約四〇件の寄稿文が記事として掲載されたが、その内容もほとんどは原告が現地で見聞きしたことあるいは考えたことをもとにしたパレスチナ難民及びパレスチナ解放運動の状況の現地報告であつたこと、原告は、昭和五〇年一月ころ、新左翼社の特派員の身分を取得したが、これはレバノンの内戦のため新聞記者の身分証明書を持つていた方が身体の安全上有利であるとの考慮から、原告が同社に依頼して、正式に同社の特派員となり、その記者証を送つてもらつたことによるものであることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、新左翼社もしくは人民新聞社は、新左翼紙もしくは人民新聞紙上に日本赤軍の声明を載せ、ときには日本赤軍の活動に支持や支援を呼びかけるなどの主張をしたことがあるものの、右報道は、新左翼的な立場にたつ報道機関としての報道や言論の枠を逸脱しているとまではいえないし、また、原告は、新左翼紙の寄稿者であつた者にすぎずかつ新左翼(後の人民新聞)紙の編集責任者の渡辺雄三と個人的な親交がある者にすぎないということができ、原告と人民新聞社もしくは右渡辺との関係から日本赤軍との連繋関係を推認することはできない。

⑫ 「パレスチナ大虐殺を許さない一〇・二四集会」への参加について

<証拠>を総合すると、原告は、昭和五七年一〇月二四日、渡辺雄三の依頼を受けて、人民新聞社と「三多摩パレスチナと連帯する会」の主催で大阪城公園で開催された「パレスチナ大虐殺を許さない一〇・二四集会」のパネルディスカッションにパネラーの一人として参加して発言したこと、右パネルディスカッションにはパネラーとして行者も参加したこと、右集会は、同年九月起きたイスラエルの占領下にあったベイルートのパレスチナ難民キャンプの住民がレバノン右派によつて虐殺された事件について写真の展示や映画、座談会等によつて一般に紹介しこれを非難するために開かれたものであり、原告も行者もパレスチナ問題についての有識者として参加を要請されたのであり、原告は、このとき行者とは初対面で、ともにパネルディスカッションの席上パネラーとして発言しただけであり、日本赤軍についての話題はまつたく出なかつたこと、原告は、その後同人とは会つたことがないことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、原告が右集会に出席したこと、その機会に行者と出会つたことが原告と日本赤軍の連繋関係を推認させるものでないことは明らかである。

⑬ 信原との関係について

前記(1)①、(2)⑥の認定事実、<証拠>を総合すると、原告は、昭和四六年四月、レバノンに渡航する際、その準備段階で信原と知り合い、ともに渡航して約一年間は同じジェルサレム病院で稼働し、同人との間に交際があつたこと、その後、原告と信原は、別々のキャンプでそれぞれ別の党派に属する医療機関に移つたために、以前ほどの行き来はなくなり、また、原告が人道主義の立場に立つていたのに対して、信原は政治的な立場を強調し、日本赤軍の昭和四八年七月の日航機ハイジャック事件の際、原告がキャンプ内で会つた信原に、女、子供を盾にするハイジャックに反対の意見を述べたところ、信原が原告を政治的立場のない妥協主義であると非難したことから、けんか別れの状態となり、以後は両者の行き来は途絶えたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、原告と信原は、ともにレバノンに渡り、パレスチナ難民キャンプ内で医療活動を行つていた日本人女性同士として親しく交際するのは当然のことといえるし、しかも、その後の両者の関係の経過からするとその交際は原告がレバノン滞在中に実質的には途絶えたということができ、信原が日本赤軍の関係者であつたとしても、原告と信原との過去の一時期の交際の事実から原告と日本赤軍の連繋関係を推認することはできない。

⑭ 久保田との関係

<証拠>を総合すると、原告は、昭和五〇年一二月一二日、日本に帰国したが、その際、連絡の手違いで、羽田空港に迎えの者が来なかつたので、原告の以前の勤務先の飲食店経営者で大阪市在住の安本に電話したところ、同人の斡旋で東京都新宿区在住の久保田が羽田空港まで原告を迎えに来たので、久保田の内縁の妻宅に四、五泊したこと、原告は、大阪に帰るため、帰国した際に羽田空港で警察官によつて押収された押収物の還付を自ら受けることができないので、久保田に対して、原告の代理人として押収物の還付を受けてくれるように依頼したこと、久保田は、重信が昭和四六年二月二日に奥平剛士との婚姻届を出した際、証人の一人として署名押印したもので右両名と親交関係があるとみられているが、原告は、久保田とは羽田空港に迎えに来てもらつて会つた際が初対面であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によれば、たとえ、久保田が日本赤軍の関係者であつたとしても、原告と久保田との間には日本赤軍との連繋関係の存在を疑わせるような関係があつたものと認めることはできない。

以上のとおり、原告と日本赤軍との連繋関係を示すものとして被告らが主張する事実は、個別的にみて、原告と日本赤軍の連繋関係を推認するに足りるものではないというべきであるが、前記認定の各事実、ことに原告が、日本赤軍が敢行したテルアビブ・ロッド空港事件を賛美するような文章を日本赤軍の声明文等が掲載される新左翼系の新聞に寄稿したこと、原告が日本赤軍の幹部である重信房子と交際があり、重信がテルアビブ・ロッド空港事件後の新左翼紙上の寄稿文中において原告を激励していること、日本赤軍構成員である足立が所持していたメモの中に原告の氏名の記載が存在することなどの事実を総合した場合には、原告と日本赤軍との間に何らかの関係が存在すると疑える余地がないではない。

しかしながら、前記(1)(2)の認定事実によると、このように、外見上原告と日本赤軍との関係を疑わせる事実は、根本的には、原告が、PLOのパレスチナ解放運動に強い共感をもち、パレスチナ解放組織の政治的活動や軍事的行動に参加する気持はなく、参加もしていないが、パレスチナ難民キャンプにおいて看護婦として救援活動に従事することによつて自らも右運動に参加しているとの意識を有し、現地住民の感情や解放運動の状況を日本人にも伝えたいとの思いから、数多くの寄稿文を送付していたので、その寄稿文は現地のPLOやパレスチナ住民の見方や感情をそのまま反映したものとなり、それがたまたま日本赤軍の行つたテルアビブ・ロッド空港事件の賛美につながつたこと、重信もパレスチナ解放運動を支持し、これに参加するとの一点において原告と共感するものがあつたことによるものと考えられるのであつて、原告が実際に日本赤軍を支援する行動をとつたことは全くなく、原告がレバノンに渡航してパレスチナ難民のために看護救援活動をすることとなつた経緯、渡航後の原告の活動状況、レバノンから帰国後の原告の言動などに照らせば、原告が人道的な立場から、パレスチナ難民救済やパレスチナ解放運動に関わつたという原告本人の供述は十分首肯することができるし、原告の日本赤軍の諸活動に対する従前の態度、言動に照らすと、原告の政治的信条においてもまた原告の人道的感情からしても原告は日本赤軍とは一線を画し、特に日本赤軍のハイジャックやテロには批判的な意見を有していることが認められる。そのうえ、本件処分時は、本件申請及び前処分時からすでに八年以上も経過しているが、被告ら主張の諸事実は、八年以上前の前処分より以前の原告の言動に関するもので、前処分後の行為は昭和五七年一〇月二四日の「パレスチナ大虐殺を許さない一〇・二四集会」への参加のみであつて、このときには、パレスチナ問題の有識者として渡辺雄三の依頼により出席発言したにすぎず、右八年以上の間、原告は、犯罪などの非行はなく、婚姻して二児をもうけ、子育てを営んで平和な家庭を築き、一方ではさまざまな市民運動、社会運動に関わつているものの日本赤軍を支持支援するような言動をとつたことはなく、日本赤軍の関係者と日本赤軍との連繋関係を疑わせるような接触をもつたこともないのであり、これらの経歴、中東地域渡航前の行動、中東地域渡航滞在後の活動状況、帰国後の生活態度、その活動の根底にある原告の思想、信条、前処分後における家庭生活と社会的活動の現況等一切の事実を勘案すれば、前記の諸事実を総合しても原告が日本赤軍に対して有形無形の支援活動をするなどして日本赤軍の破壊活動を援助助長するような行為に出る虞があるとは到底認められず、原告と日本赤軍との連繋関係の存在を認めることはできない。

(3) したがつて、被告外務大臣が原告につき日本赤軍と連繋関係が存すると認め、原告が、旅券法一三条一項五号にいう「著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当な理由がある者」に該当すると認定したことは、前提となる事実を誤認し、かつその結論に至る事実の評価の点で著しい不合理があつて同号の規定により被告外務大臣に与えられた権限をその法規の目的に従つて適法に行使した結果によるものということはできないから、本件処分は、原告のその余の主張については判断するまでもなく、同号に違反する違法なものというべきである。

したがつて、原告の被告外務大臣に対する本件処分の取消請求は理由がある。

三被告国の責任について

原告は、被告外務大臣は、本件処分が違憲または違法なものであることを認識し、または、認識すべきであつたにもかかわらず、故意または過失により、違憲、違法な本件処分をしたものであるから、被告国は、国賠法一条一項により、原告に対し、原告が本件処分により被つた損害を賠償すべき義務がある旨主張するが、さきにみたとおり、仔細に検討を加えればいずれも原告と日本赤軍の連繋関係を認めるに足りる事情とはいえないながらも、これを総合すればあるいは原告と日本赤軍の連繋関係を疑われないではない事実関係もあり、しかも、前処分の取消訴訟において、控訴審の大阪高等裁判所は原告が旅券法一三条一項五号の所定の者に該当するとして原告の請求を棄却し、上告審の最高裁判所もこの点については、原審の判断に経験則違反、審理不尽、理由不備等の違法がないとしていることは、当裁判所に顕著な事実であり、右認定判断が本件処分より八年も前の前処分についてのものであり、本件処分について考慮に入れるべき前処分以後の事情が認定判断の対象とされていないこと等から、その認定判断がそのまま本件処分に当てはまるものではないにしても、前処分と本件処分とは同一申請に対する処分であり、事案を共通にする部分が多いから、被告外務大臣が、前処分と同様原告について旅券法一三条一項五号所定の者に該当すると認めて本件処分をしたのも無理からぬことであつたと考えられ、本件処分をするについて被告外務大臣に故意、過失があつたことを認めることはできない。

したがつて、原告の被告国に対する国賠法一条一項に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

四よつて、原告の被告外務大臣に対する請求を認容し、被告国に対する請求を棄却し、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本矩夫 裁判官佐々木洋一 裁判官植屋伸一は転補のため署名捺印できない。 裁判長裁判官山本矩夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例